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東京高等裁判所 昭和39年(ネ)2827号 判決

控訴人 暁産行株式会社

右代表者代表取締役 橋山才逸こと 橋山和明

右訴訟代理人弁護士 山口伸六

同 岡田錫淵

同 玉重無得

同 春田政義

同 萩原菊次

同 弘中惇一郎

被控訴人 株式会社太陽神戸銀行

右代表者代表取締役 塩谷忠男

右訴訟代理人弁護士 竹腰武

同 徳田実

同 高橋龍彦

主文

一、控訴人の本件控訴及び一次的請求のうちの拡張にかかる損害金の請求を棄却する。

二、控訴人の二次的請求を棄却する。

三、控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、申立

控訴会社の申立

一、一次的請求

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し、金八三五〇万円及びこれに対する昭和三二年五月二一日以降完済に至るまでの年六分の割合による金員を支払え。

(但し、付帯の損害金の請求のうち、昭和三二年五月二一日以降同年同月三一日までの分は当審において拡張した請求である。)

二、二次的請求

被控訴人は控訴人に対し、金八〇〇〇万円及びこれに対する昭和三二年五月二一日以降完済に至るまでの年六分の割合による金員を支払え。

(右二次的請求は、当審において予備的に追加した請求である。)

三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決を求める。

被控訴銀行の申立

主文と同旨の判決を求める。

第二、事実に関する陳述

一、控訴会社の主張

(一)  一次的請求の原因

控訴会社は、昭和二八年九月二一日被控訴銀行(但し、当時株式会社日本相互銀行、昭和四三年一二月一日商号変更により株式会社太陽銀行となり、昭和四八年一一月二九日株式会社太陽神戸銀行に吸収合併)との間で同銀行川崎支店の口座による当座預金取引契約を締結して同取引を開始し、右取引は昭和三二年五月二一日解約により終了したものであるところ、被控訴銀行は昭和三〇年八月一日控訴会社が当時の当座預金から金八三五〇万円を引出したものとして払戻の処理をしているが、控訴会社は右金員を引出したことがないので、同日以前頃預入れの右同額の預金債権は当座取引終了当時において残存していたものというべきである。よって、控訴会社は被控訴銀行に対し、右金八三五〇万円及びこれに対する右当座取引が終了した昭和三二年五月二一日以降完済に至るまでの商事法定利率による遅延損害金の支払を求める。

(二)  二次的請求の原因

仮に一次的請求原因が認められないとしても、被控訴銀行は、控訴会社が昭和三一年一二月三一日預入れた金八〇〇〇万円の預金を昭和三二年一月四日引出したものとして払戻の処理をしているが、控訴会社は右預金を引出したことがないので、当座取引終了当時において右金八〇〇〇万円の預金債権が残存していたものというべきである。よって控訴会社は被控訴銀行に対し、予備的に右金八〇〇〇万円及びこれに対する前同様昭和三二年五月二一日以降完済に至るまでの商事法定利率による遅延損害金の支払を求める。

(三)  なお、右各預金は、被控訴銀行が主張するような粉飾預金ではなく、控訴会社の取引先から真実当座預金口座に入金されたものである。また、当時、被控訴銀行川崎支店の支店長らが控訴会社の当座預金を勝手に引出しこれを不正に流用していたため、その事実が発覚するのをおそれ、毎月末頃流用額に相当する金員を控訴会社の当座預金に入金して返済する方法をとっていたものであって、帳簿の記載に真実の預入および払出しと合致していない点があるとしても、前記のとおりの残高をもって控訴会社の預金債権が残存していることは間違いない。

二、被控訴銀行の主張

控訴会社と被控訴銀行との間で控訴会社主張の当座預金取引契約が締結され、同取引が控訴会社の主張の日に終了したことは認めるが、その余の事実は否認する。右取引が開始した日時は昭和二八年一〇月五日である。また、一次的請求原因の昭和三〇年八月一日に払戻の処理がなされている金八三五〇万円は同年七月三〇日に預入の処理がなされた金八三五〇万円の預金に対応するものであるが、右八三五〇万円の預金及び二次的請求原因の昭和三一年一二月三一日に預入の処理がなされている金八〇〇〇万円の預金は、いずれも真実の預入がなされたものではなく、単に帳簿上預金の存在を見せかけたいわゆる粉飾預金であって、控訴会社の主張する預金はもともと存在しない。従って、控訴会社の請求は失当である。

第三、証拠関係《省略》

理由

一、控訴会社と被控訴銀行(当時、株式会社日本相互銀行昭和四三年一二月一日商号変更により株式会社太陽銀行となり、昭和四八年一一月二九日株式会社太陽神戸銀行に吸収合併)との間で、同銀行川崎支店の口座による当座預金取引契約が締結され、同取引が昭和三二年五月二一日解約により終了したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右契約が締結され、同取引が開始したのは昭和二八年一〇月五日であることが認められ(る。)《証拠判断省略》

二、そこで、控訴会社が主張する本件当座預金債権の存否について検討する。

(一)  《証拠省略》によれば、被控訴銀行川崎支店における控訴会社の口座の当座勘定元帳の昭和三〇年七月三〇日の貸方欄に金八三五〇万円の入金の記載と同年八月一日の借方欄に金八三五〇万円の支払の記載があり、また右当座勘定元帳の昭和三一年一二月三一日の貸方欄に金八〇〇〇万円の入金の記載と昭和三二年一月四日の借方欄に金八〇〇〇万円の支払の記載のあることが認められ、かつ右当座勘定元帳の各支払の記載が控訴会社において真実その預金を引出したことによるものでないことは、被控訴銀行の明らかに争わないところである。

そこで、本件の主たる争点は、右当座勘定元帳の各入金の記載が控訴会社の取引先からの入金によるものであるか、もしくは被控訴銀行川崎支店の支店長らが控訴会社の当座預金を不正に流用したため、毎月末頃右流用額に相当する金員を控訴会社の当座預金に入金して返済していたものであって、控訴会社の真実の預金を表示しているものである、との控訴会社の主張と、然らずして帳簿上で被控訴銀行川崎支店の月末における預金高を実際より誇大に見せかけるためのいわゆる粉飾預金の記載に過ぎず、控訴会社の真実の預金を表示したものではない、との被控訴銀行の主張のうち、いずれが正しいかという点に帰着する。

(二)  そこで、右の争点について本件で調べた全証拠資料を検討するに、当裁判所は、被控訴銀行の主張に副う証拠の方が控訴会社の主張に副う証拠に比して信用性に優るものがあって、控訴会社が主張する預金の存在は結局においてこれを認めることができないものと判断するが、その理由は次のとおりである。

1  《証拠省略》によれば、被控訴銀行川崎支店においては、控訴会社との当座預金の取引が継続していた前示の当時、毎月始めにその月の業務活動の目標として月末における預金獲得目標額を掲げ、その達成に努力するとともに、月末における実際の預金高が目標額に達しなかったときは、懇意な取引先の口座の当座勘定元帳に、実際の預金の預入にもとづかないいわゆる粉飾預金の記載をなし、これにより恰も目標額の預金獲得を達成したかのように見せかけて支店の成績をあげようと企て、その相手方となる取引先に控訴会社を選び、当時控訴会社の代表取締役専務として被控訴銀行川崎支店との取引の衝に当っていた訴外A'ことAに依頼し、Aにおいて毎月末頃被控訴銀行川崎支店の預金目標額に対する不足額を額面とし、控訴会社を振出人、訴外株式会社大和銀行川崎支店を支払人とする小切手(入金小切手)を振出し、これを交換には廻さないとの了解のもとに被控訴銀行川崎支店に交付し、同支店において控訴会社の当座預金口座に右入金小切手の額面に相当する預金が預入れられたものとして控訴会社の口座の当座勘定元帳に入金の記載をなし、それとともにAから更に右入金小切手と同一額面の、控訴会社を振出人とし、被控訴銀行川崎支店を支払人とする小切手(支払小切手)の振出交付を受け、翌月始めに右支払小切手により控訴会社の当座預金口座から右支払小切手の額面に相当する預金の払戻がなされたものとして、右当座勘定元帳に支払の記載をすることとし、これにより、右当座勘定元帳に一時的に見せかけの預金である粉飾預金の記載状態を作り出し、被控訴銀行川崎支店の預金高を誇大に表示していたものであって、右粉飾預金の記載は、右当座勘定元帳の昭和二九年八月三一日の金三九〇〇万円の入金の記載に始まり、昭和三二年一月四日の金八〇〇〇万円の支払の記載に至るまで、毎月末頃と翌月始め頃において数千万円から一億円に及ぶ同一金額の入金及び支払の記載によってなされたものであり、本件の昭和三〇年七月三〇日の金八三五〇万円及び昭和三一年一二月三一日の金八〇〇〇万円の各入金の記載も、右の意味における粉飾預金を表示しているものであって、控訴会社の真実の預金を表示しているものではないと認めることができる。

2  以上の認定に反する控訴会社の主張について検討するに、まず本件の各預金が控訴会社の取引先からの入金によるものであるとの点については、当審における控訴会社代表者橋山和明尋問の結果の一部に、右事実に副う趣旨の供述があるが、入金の原因となった取引の内容については具体的な説明がなく、説得力に乏しいものであるのみならず、右供述の内容を裏付けるに足るなんらの証拠もないので、右供述はたやすく措信することができないものといわざるを得ない。また他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

次に、控訴会社の主張のうち、本件の各預金は被控訴銀行川崎支店の支店長らが控訴会社の当座預金を不正に流用していたので、毎月末頃流用額に相当する金員を控訴会社の当座預金口座に入金して返済していたものである、との点について検討する。

成立に争いのない甲第三六号証(別件訴訟における証人富田博の尋問調書)及び当審証人富田博の証言の一部に控訴会社の右主張に副う趣旨の供述があり、これによれば、富田博は昭和二八年四月一日から昭和二九年一〇月三一日まで被控訴銀行川崎支店に勤務し、以後厚木支店に転勤し、昭和三二年六月頃退職したものであるが、川崎支店に勤務していた当時控訴会社の記名印と代表取締役社長印を偽造し、これを使って控訴会社の預金を引出し、他に浮貸していたが、厚木支店に転勤した際右偽造印を川崎支店の支店長訴外漆原清蔵に預けておいたところ、以後漆原支店長が右偽造印を使って控訴会社の手形を偽造して控訴会社の預金を引出し流用していたため、富田は控訴会社の倒産後漆原の後任の支店長である訴外窪田実から、漆原の流用額が莫大な金額となったが、その原因は富田にあるから富田がその責任をとれと責められた、というのである。しかし、富田の右供述によっても、漆原支店長による浮貸の内容、金額については具体的な説明がなく、これを裏付けるに足る客観的な資料を欠いているのみならず、《証拠省略》によれば、富田は控訴会社倒産後における被控訴銀行の調査に対し、控訴会社の印鑑を偽造したことや漆原支店長の預金流用の事実についてはなにも供述していないばかりか、却って被控訴銀行川崎支店ではAを信用して取引をしていた旨の供述をなし、控訴会社の調査及び昭和三八年五月二三日の横浜地方裁判所における証人尋問に際しては、同支店の支店長らは、Aが控訴会社の代表取締役社長橋山和明に秘密でAの情婦である訴外B子に資金援助をするために使うものであることを知りながら、Aの依頼による手形割引に応じ、或いはAに対し個人貸付をしていた旨供述しているが、その際にも控訴会社の口座の当座勘定元帳の月末における多額の入金の記載は粉飾預金である旨の供述をし、やがて控訴会社の倒産後一三年余を経過した昭和四五年八月二一日の前示証人尋問に際して始めて控訴会社の印鑑を偽造したことや漆原支店長の預金流用の事実を供述したものであることが認められ、富田の供述は前後一貫性を欠くものであって説得力に乏しいといわざるを得ず、更に、《証拠省略》に照らしてみれば、控訴会社の主張に副う趣旨の富田の供述はたやすく措信できないものというべきである。(なお、控訴会社は、富田の供述の信用性を裏付けるものとして、富田が保管していたという控訴会社の手紙用紙の控えの部分及び被控訴銀行の控訴会社に対する貸付関係を記載した計算書である甲第四〇ないし第四二号証の各一、二、第四三号証、第四四ないし第四八号証の各一、二を提出しているが、右手形用紙の控えの部分が漆原支店長において偽造した控訴会社名義の手形を切取った残片であり、これと計算書とを証拠湮滅のため富田に交付したものであることを認めることはできないので、右甲号証をもって富田の供述の信用性を裏付けるに足るものということはできない。)

また成立に争いのない甲第九号証(別件訴訟における証人Aの尋問調書)の一部に、A自身のみならず被控訴銀行川崎支店の支店長らも控訴会社の預金を使込んでいたものであって、その額はAの分が五、六〇〇〇万円、川崎支店の分が四、五〇〇〇万円である、とのAの供述が記載されているが、右供述は、措信できない富田博の前記供述を除いてはこれを裏付けるに足るなんの資料もなく、むしろAが前記B子に資金の援助をするなどして控訴会社の預金を使込んでいたことの責任を少しでも緩和しようとの意図による虚偽の供述と解せざるを得ないのであって、到底措信することはできない。

他に以上の認定を覆し、被控訴銀行川崎支店の支店長らが控訴会社の預金を一たん流用し、これを控訴会社の当座預金口座に入金して返済していたとの事実を認めるに足る証拠はないから、控訴会社の前記の主張も採用するに由ない。

三、以上の次第で、控訴会社の主張する金八三五〇万円及び金八〇〇〇万円の預金債権の存在はこれを認めることができないので、控訴会社の被控訴銀行に対する本件預金返還請求はいずれもこれを棄却するほかはない。

よって、控訴会社の一次的請求を棄却した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条第一項により本件控訴を棄却すべきであり、控訴会社が当審で一次的請求につき拡張した損害金請求の部分及び予備的に追加した二次的請求は、いずれも上記理由によって認容し難く、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 輪湖公寛 後藤文彦 裁判長裁判官安倍正三は転任のため署名押印をすることができない。裁判官 輪湖公寛)

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